183-参-憲法審査会-005号 2013年06月05日


2013年6月5日

○西田実仁君 公明党の西田実仁でございます。
今日は、両先生、大変にお忙しいところ、ありがとうございました。
我が党といたしましては、この新しい人権という全般についてはより積極的に明示すべきであるという立場でございまして、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、また時代の変化に対応した様々な立法措置が可能になるというふうにすることが望ましいと、こういう立場でございます。そして、特に環境権あるいは環境保全の責任ということにつきましても、自然との共生も含んだエコロジカルな視点に立った環境権を定めるべきであり、また国と国民の環境保全の責務、責任も求める必要があるんではないかというふうに考えているわけであります。
そこで、この参議院の憲法審査会は、昨年、常会におきまして「東日本大震災と憲法」というテーマで、大震災における人権保障、統治機構あるいは国家緊急権について議論を行ったわけでございますけれども、まず最初に小山参考人にお聞きしたいと思います。環境権についてであります。
確かに、この環境権ということについてはこれまで裁判所でも否定され続けてきたわけでございますけれども、この三・一一以降の日本社会全体の変化ということについて踏まえなければならないというふうに思っております。小山先生のレジュメには、これは人格権で救済をするべきものであるというふうに記されておりますけれども、個人の私権としての人格権で処理するには、三・一一以降の福島を中心とした面としての大規模な災害を考えたときには不適切ではないか、あるいは問題を矮小化することにならないのかという疑問を私は持っております。汚染されていない土地と空気というのは個人の利益にとどまらず、人間の生存条件そのものと考えるべきだからであります。
この点につきまして、小山先生にまずお聞きしたいと思います。

○参考人(小山剛君) 私が申し上げましたのは、人格権があるからいいということではございませんで、そこの部分は人格権でもう既に解決済みなんだから環境権の独自の意義というのはそこを超えたところにあるんだろうと、そういった趣旨で申し上げただけでございます。
ですから、人格権というのは当然人権として構成できる言わばミニマムの部分だと思うんですね。ただ、環境権という以上はそれよりももっと広い、そういった個人の個別具体的な利益に還元できないような、そういったところを憲法として、あるいは法制度として保障していく、そこが中心になるんだろうということでございます。
それは三・一一の前も後も変わらないと思います。三・一一の後、非常に深刻な事態になったというのはそのとおりだと思いますけれども、やはり、何といいますかね、環境をどうするかというのは、一人の個人の人格権という言わばミクロの個別的な問題では解決できないものだから、だからこそ難しいんだというふうに認識しております。
そして、今言ったように、個別の人権として解決できないと、だからこそ各国の憲法はいろんな形で記述の仕方、環境は大事なんだということをどうやって宣言しようかということに苦心しているんだと。したがって、先生とは認識は変わっていないように思うんですが。

○西田実仁君 ありがとうございます。
この放射能汚染と憲法ということについて小林先生にお聞きしたいと思います。大きなテーマでありますので、先生の御所見を伺えればという思いです。
この環境権ということだけに限っていえば、確かに生成中の権利だろうとは思いますけれども、この三・一一による環境破壊ということに対応して考えたときには、構成され続ける権利として理解し、また議論を深めるべきではないかと私は思っておりますけれども、このことと加えまして、放射能汚染と憲法ということで先生の是非御所見を賜りたいと思います。

○参考人(小林節君) 今お話を伺って、確かにあの被害状況を見ていると、個人の主観的利益を超えた公益の問題があると思うんですね。であれば、原則に戻って考えれば、人権規定があろうがなかろうが、立法府というのは国権の最高機関として憲法に触れない限り何でもできるんですよね。だから、例えば法律で二院制を一院制にするの駄目でしょう、もう一つは法律で人権侵害駄目でしょう。それ以外であれば、環境という公益を、あの被害を直視して、最大限速やかに回復するための立法、予算措置は国会で何でもできるんではないかという、第一点のお答えです。
それから、原子力については、この間の被害を見て、本当につまらない人的過失で世界最高の技術が最悪の技術みたいに見えてしまったのは残念ですけど、ただ人間である以上ああいうことが起こるということからいくと、やはり原子力というのは一種の禁じ手なんだなとしみじみ思いました。つまり、あれが暴走したときにコントロールするすべを我々は持っていない以上、使ってはならない危険なものなんだなという認識をせざるを得ませんでした。
そういう意味では、憲法というのは国民の幸福を保障する手段でありますから、明らかに健康も豊かさも平和も害するリスクが高過ぎる現状では、何か、もう一つは被爆国という体験もありますし、憲法の中に核に関する規定があってもいいのかなと。ただ、宣言規定ですけれどもね、それが権利義務を生むものではないと思いますけれども、前文のような、そういうアイデアはあの事件を見て思いました。
以上です。

○西田実仁君 ありがとうございました。

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