「改正中国残留邦人支援法」を制定
母国到着の喜びもつかの間・・・
中国東北部(旧満州地区)――。
戦前、戦中と、国策で多くの日本人が渡った。
だが、終戦の混乱で、その一部は肉親と生き別れ、
中国人の妻や孤児として、やむなく現地に残った。
「中国残留邦人」の方々である。
1975年、孤児の肉親捜しが本格化。
訪日調査が81年からおこなわれ、
ついに、孤児たちの悲願であった帰国は実現した。
しかし――。
喜びもつかの間だった。
言葉が通じない。仕事をもらえない。
中国残留邦人は高齢になってからの帰国だったために、中国残留邦人の多くが、厳しい生活を強いられることになる。
唯一の支援策と言っていい生活保護についても、制約が多かった。
新たな法で守るしかない!
西田はこの問題を知るや、残留邦人帰国者の方々と懇談会を重ね、
その窮状ぶりに耳を傾けた。
「生活保護とは別枠で、新たな生活支援給付を創設すべきだ」
西田は議員立法に取り組み始めた。
しかし、この動きに激しく抵抗したのは厚労省だった。
「生活保護と別の体系で、支援策を作るのは好ましくない」
「中国だけではない。シベリアからの帰国者や、フィリピンからの入国者もいるのに、どうするのか」
しかし、西田は引かなかった。できない理由をあげれば、きりがない。
大事なことは、現実に困っている人がいるということだ。何としても新たな支援策を成立させなければならない。
2007年11月、西田は国の抵抗を押し切り、 「改正中国残留邦人支援法」を成立させる。
これにより、単身世帯で月額最大8万円が支給され、さらに条件付きながら住宅費や医療費も支援されることになった。
また、日本語の不自由な帰国者のために、外国語が通じる医療機関にはフラッグを立てるよう医療法を改正。残留邦人帰国者のための介護施設も設立し、
安心して生活ができるようにと、あらゆる手を尽くした。
残留邦人帰国者らでつくる「中国帰国者東京連絡会」は、西田の尽力に対して、「感謝状」を送っている。












西田まこと