プロフィール

経歴
| 昭和37年 8月 | 東京都田無市(現・西東京市)生まれ |
|---|
| 昭和56年 3月 | 慶應義塾高校 卒業 |
|---|---|
| 昭和56年 4月 | 慶應義塾大学 経済学部 入学 |
| 昭和57年 8月 | 中国・北京語言大学へ留学 |
| 昭和61年 3月 | 慶應義塾大学 経済学部 卒業 |
| 昭和61年 4月 | (株)東洋経済新報社に入社 |
|---|---|
| 平成8年 | 『週刊 東洋経済』副編集長 |
| 平成12年 | 『週刊 東洋経済』「巻頭特集」担当デスク |
| 平成15年 7月 | 公明党青年局次長 |
|---|---|
| 平成16年 7月 | 参議院選挙 埼玉選挙区で初当選 |
| 平成17年 | 党国際局次長(1月)、党労働局次長(12月) |
| 平成18年 | 党団体局長(5月)、党副幹事長、党NPO局次長(10月) |
| 平成19年 | 党宣伝局長(2月)、党中央規律委員(6月)、党広報局長(9月) |
| 平成20年 | 党中央幹事、党関東方面協議会副議長(9月) |
現在
| 各種委員会 | 国土交通委員会委員、災害対策特別委員会委員、沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員 |
|---|---|
| 党役職 | 中央幹事、広報局長、国際局次長、埼玉県本部代表 |
| その他 | 埼玉車体整備共同組合政治連盟顧問 |
基本情報
| 家族 | 妻、一男一女の四人家族 |
|---|---|
| 住所 | 埼玉県所沢市在住 |
| スポーツ | 剣道、バドミントン |
| 好きな言葉 | 愚直に生きる |
| 好きな本 | 『夜と霧』『代表的日本人』 |
| 長所 | ねばり強い |
| 著書 | 『日本元気宣言』『人民元・日本侵食』 |
- まことグラフィティ(生い立ち)
- 数字でわかる「西田まこと」
昭和37年8月 東京都田無市(現・西東京市)生まれ
自宅で、小さなプラスチック加工工場を営む父。
レコード針の部品作りで経営は順調でした。
母は病弱で入退院を繰り返していました。
私は幼いながらも母を喜ばせようと勉強を頑張っていました。
毎日懸命に働いていた父の背中がとても印象的で、
今でも町工場を視察すると懐かしく思い出されます。
小学校時代に習った剣道では、ネバリ強さを学びました。
昭和53年 慶應義塾高校 入学
高校に入った頃、「CD」がブームになり、一気に父の工場の経営が傾きました。「高校をやめてもらうかも…」父に言われた厳しい現実。零細企業の辛さ・苦しさを肌身で感じました。
勉強は得意な方で、ありがたくも奨学金をいただき、高校を卒業することができました。バドミントン部ではキャプテン。
県大会ではベスト8まで行きました。家業を手伝いながら、勉強とスポーツに打ち込んだ3年間でした。
昭和56年 慶應義塾大学 経済学部 入学
大学でも奨学金を借りられることになり、慶応義塾大学の経済学部へ。大学時代の最大の夢。それは中国への留学でした。
でも、お金はありません。
この時、お世話になった教授の援助によって無事に留学資金を確保できました。
今でも本当に感謝しています。
昭和58年 中国・北京へ留学
私の中国へのあこがれは母の影響。旧満州に育った母が、敗戦後、中国の人たちに助けられたことへの感謝を何度も語っていて…。それがいつしか「日本と中国を結ぶ、大きな人間になりたい」という私の夢になっていました。
念願の中国・北京語言大学への留学。4畳半に2人住まいの「節約留学」の中で、懸命に勉強。
新しい中国の発展の勢いに驚いたことを覚えています。
昭和60年 (株)東洋経済新報社に入社
卒業後、ジャーナリズムの世界へ!
とにかく現場で声を聞かなければ、真実は見えてこない。
平成3年に、中小・ベンチャー企業向けの月刊誌の創刊に携わったことをきっかけに、5年間で650人の経営者を取材。
百聞は一見にしかず。経営の現場を実際に肌で感じたことがその後の仕事にも大きなプラスになっています。
平成8年 『週刊 東洋経済』副編集長に
そして『週刊 東洋経済』の副編集長に。アジア経済の担当として、中国、香港、タイ、アメリカなどに足を運びました。
平成10年、アジア通貨危機後の日本と中国を描いた『人民元・日本侵食』(二見書房)を執筆。中国の発展を
いち早く紹介したことが注目され、テレビ番組『サンデープロジェクト』
に出演するようになったのもこの頃です。
平成12年 『週刊 東洋経済』「巻頭特集」担当デスクに
ジャーナリストとして最も心がけたのは「読者を元気にする」
「井の中の蛙にならぬよう世界情勢を伝える」そして「経済の枠を超えた様々な話題を提供する」ことでした。
こうした理念が奏功したのか、私が企画した「巻頭特集」が人気を得て、『週刊 東洋経済』過去最高部数を更新できたのもいい思い出です。
平成16年 参議院選挙において初当選
ジャーナリスト生活を通して痛感したのが「真面目に働く人が報われる社会にしたい」との思いでした。
日本経済の分岐点である21世紀に、論じるだけでなく、自ら実行すべきだ、と思い立ち、参議院議員選挙への立候補を決意。
本当に多くの方々の熱い応援をいただき、初当選させていただきました。
私の仕事はいよいよ、これからです。
中小企業3000社以上訪問
「日本経済を元気にするには、中小零細企業が元気になるしかない」。これが「経済のプロ」としての西田まことの結論だ。
日本の企業の99%以上を中小零細企業が占めている。その現場の声を一つでも多く聞きたいと、6年間で訪問した中小企業は埼玉県内だけで3000社以上におよぶ。「霞ヶ関や永田町ではなく、中小零細企業の現場から政策を考えなければ、実態にあった本当の政策は生まれない」というのが、西田の政治家としての確信である。
国会質問106回
1期目の6年間でおこなった国会質問は「106回」(2010年6月現在)。埼玉県選出の参院議員の中でも、突出した回数だ。内容はいずれも、各地に足を運んで聞いた「一人一人の声」に裏打ちされたもの。
「“現場の声”を必ず国政に!」――西田まことにとってこの6年間は、徹底して中小零細企業を訪問し、経済の現場で誰より苦労している人々の言葉に耳を傾けてきた日々でもあった。そして、そうした多くの声を「カタチ」にする闘いは今日も続く。
議員立法2本成立
国会とは立法府、つまり法律を作ることが最大の仕事だ。ところが、一から法律を作るのは大変なため、議員生活で一度も議員立法にかかわらず議員生活を終える国会議員も多い。
そうした中で西田まことは、1期6年で議員立法の法案を3本提出。うち2本を成立させている(「預金者保護法」「中国残留邦人支援法」)。成立までには、さまざまな障害や障壁が立ちはだかったが、涙ながらに窮状を訴える人々の姿に思いを馳せ、西田は、成立に全力を尽くした。
今、西田は、新たな議員立法として、公務員の不正経理を許さない「不正経理防止法」の制定をめざしている。
「国が作らないならば議員が作る」「人がやらないならば自分がやる」
この決意で、立法府の議員にふさわしい仕事をする――それが「西田まこと」である。











西田まこと